パークタイムス5月6月
3/20

貯木場の跡が、公園のオアシスに鴨々川と中島公園の成り立ちインペリアルスイート リビングルーム 豊平川の扇状地に中心地を置き、まちづくりが行われた札幌。そのシンボルとして市民に親しまれているこの一級河川はかつて、さまざまに流れを変え、数多くの分流をもっていました。 そのなかで唯一、現在まで残っているのが、中島公園を流れる鴨々川です。そして、豊平川の本流と鴨々川に挟まれた中洲は、鴨々中島と呼ばれ、早くから公園として整備することが考えられていたといいます。 一方、鴨々川は、まちの建設に使う木材を運搬する水路として使われていた時期があります。豊平川の上流から運んできた丸太を、鴨々川経由で創成川へと送り、製材所まで運んでいたのです。この時、木材を一旦、集めておくための貯木場がつくられますが、それが現在、ボート乗り場のある菖蒲池となっています。 「中島遊園地」として整備され、公園利用が行われるようになるのは1886(明治19)年のことです。中島公園のボート乗り 撮影:1937年(札幌市公文書館所蔵)

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 3

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です